今年に入って数回、海外メディアからの取材に応じることがありました。
高額献金から宗教二世問題、政治とのつながり等、主な質問事項に違いはありませんでしたが、教団内の課題や信徒の悲痛な現状について言及した際、決まって訊かれたことがありました。
それは、「内部に問題意識はなかったのか」「現状を改革しようとする動きは起こらなかったのか」ということです。
前回、統一運動の沿革を簡単に説明しましたが、2000年代、三男・文顯進(ムン・ヒョンジン)氏を中心として起こった「内部改革」の顛末は、現教団を理解する上で、極めて重要なファクターとなるに違いありません。
当時の改革の流れは、従来の教会体制を良しとする既成世代(=体制派)に対し、新たな発想をもった次世代を生み出し、従来とは異なる新たな教会文化を創り出していきました。(=改革派)
当時、生じてきた「体制派」と「改革派」の二つの潮流は、今なお複雑に絡み合いながら存在していると言えるでしょう。
今回は2000年代の改革運動について振り返りながら、当時、何が問題視され、何が改革され、何がいまだ変わらない課題—或いは付加された課題—として残り、教団内で燻(くすぶ)り続けているのかについて見てみたいと思います。
統一運動のビジョンと文化
~指示に従う組織人から神の夢に生きるオーナーへ
前回触れたように、98年、私が教会の職務に就いてすぐに目の当たりにしたものは、言わば“集金組織”と化した教会の姿であり、疲弊し切った信徒の姿でした。
草創期の教会には立派な建物一つなく、信徒の暮らしぶりは皆、質素でしたが、それでも「理想世界を作る」という夢と希望に溢れていました。
しかし、98年当時の教会は、苦悩や犠牲の先に目指す目標が見出せず、ただひたすら教会の指示に従い、目の前の献金目標を果たすことが信仰であるかのようでした。二世の目から見ても、この運動が一体どこに向かおうとしているのか、全く見えなかったのです。
そうした閉塞感漂う当時の状況下にあって、顯進氏の登場は、文字通り“劇的”なものでした。
※顯進氏の経歴を簡単に紹介するなら、同氏はコロンビア大学で歴史学を専攻。ハーバード大学院にて経営学修士(MBA)を取得し、当時、既に自社を経営していた。01年には、米国・統一神学大学院の博士課程を修了。過去(88・92年)には、乗馬の韓国代表選手としてオリンピックに出場している。
詳細は割愛しますが、顯進氏が当初から強調し続けたことは「ビジョン」であり「文化」でした。
同氏が再定義した統一運動とは「神の夢を実現する運動」であり、その夢とは、国や宗教といった枠組みを超え、全人類が神を共通の親とし、兄弟姉妹として交わる「神のもとの一家族世界」(One Family under God)に他なりません。
※顯進氏が実際に、神の夢であるところの理想世界を、特に「One Family under God」という明確なフレーズで表すようになったのは2007年からだったと記憶している。今、二世たちが“当たり前”のように口にするこのビジョンは、以前は決して“当たり前”ではなかった。目の前の目標を追い続ける終わりのない献金摂理の中で、未来のビジョンや展望を見据えることなど困難であったからである。
それは宗派・教派を超えた普遍的ビジョンであって、当然ながら、どこかの宗教団体が世界を統一するとか、一教団の教祖が世界に君臨することでもたらされるものなどではありません。
神のもとの家族世界・平和世界とは、ひとえに「神の愛に根差した理想家庭」から始まるのであって、顯進氏の強調した家庭連合の正使命とは、そうした「理想家庭づくり」(真の家庭運動)であり、「神の愛に根差した人と家庭を作ること」に他なりません。
そのため、同氏は、信徒一人一人が(教会の指示に従う組織の一員になるのではなく)「神の夢の主人(所有者)」となり、ビジョンのオーナーとなって、一人一人が(平和世界の礎となる)理想家庭を成すこと、それを目指すことを求めたのです。
当時の講演文を読めば、顯進氏の主張が如何に首尾一貫しているか分かるでしょう。
顯進氏の言葉を借りるなら、統一運動の目的は、教会組織の維持や拡大などではありません。文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の生涯の結実とは、組織でも機関でも、教会の豪華施設などでもなく「家庭」なのです!
同氏はまた、教組を神格化してそれを崇め奉り、その指示・命令に従おうとうする姿勢を戒め(=僕の姿勢)、親は子が自分以上になることを願うものであり、子は親の願いを(指示・命令として従うのではなく)自らの願いとして果たそうとするものだとしながら、命令と服従の文化ではない、「オーナーシップの文化」(主人の姿勢・子女の姿勢)を強調しました。
「文化が構造を変える」、即ち、教会の構造や体制を変えるにも、まずは私たちの「文化」(思考方式・行動習慣)が変わらなければならない―、それが顯進氏の観点でした。
こうした同氏の指導が、当時の既成世代にどれだけ浸透し得たかは疑問です。しかし、この時の指導が、私たち二世圏のトップ世代をはじめ、若手のリーダーたち、いわゆる「改革派」の思想的支柱となり、その後の教会改革のビジョンとなって行ったのです。
二世教育のパラダイムシフト
~教会に従う二世育成から社会を主導する二世育成へ
以前記したように、日本教会における二世教育は“二世自身”によって発足しました。
ビジョンや展望があって始まったのではありません。この教会内に居場所をもてず、彷徨していた二世たち、後輩たちの現状に対する、先輩としての危機意識として始まったのです。
しかし、その頃の教会に、二世教育に対する理解はなく、現場教会が二世教育に求めていたものとは、単に「教会の指示に従う二世の育成」でしかありませんでした。
当時、とある地域に二世教育の改善をお願いしに行った時のことです。私は現場の責任者から次のように言われました。
「君たちの考える教育など、現場には何の役にも立たないね。現場が求めているのは、今々の摂理のために“進め”と言われたら進み、“死ね”と言われたら死ぬ―。言わば、“北韓兵”(北朝鮮軍の兵隊)を作ることであって、そういうのを本物の教育と言うんだよ」。
これは、当時の教会の文化と教育観を現す一例と言えるでしょう。
私はそうした教育観に到底、同意することなどできませんでしたが、もしそれがこの教会の願う“正しい教育”だと言うなら、私に二世教育はできない…、そんな思いを抱きながら、悶々とした日々を過ごしました。
そんな中、2000年以降、顯進氏から示されたビジョン(=神の夢の主人を作る)が、当時の私たちにとって、どれほど大きな力になったか知れません。
顯進氏の教育哲学は明白でした。一言で言えば、「ために生きる」ということです。
統一運動は「ために生きる運動」であり、家庭連合は家庭と地域、国と世界のために生きる、個人と家庭を作る機関に他なりません。二世教育の目的も、「教会に従う二世信者を作る」のではなく、「世のため、人のため、神の夢の実現のために生きる若者を育てること」とされました。
また、同氏曰く、「オーナーシップ」(主人意識)とは「ために生きること」(愛すること)から生まれます。誰よりも会社を愛し、投入した者が会社のオーナーとなり、誰よりも世界を愛し、世界のために生きる者が世界のオーナーになる―。
「二世をオーナーに育てよ」というのが顯進氏の当時の指導でした。
さらに2002年初頭、私たちが二世教育の現状を踏まえ、「社会の影響から二世を守ることは簡単じゃない」といった報告をした折、顯進氏からこう言われました。「その発想自体を変えなさい。我々が考えるべきことは、“二世たちをどう世の中の影響から守るか”ではなく、“二世たちをしてどう世の中に良い影響を与えるか”だ」。
上述したように、顯進氏は当時、「文化」を強調し、「人に影響を与えるのは“言葉”ではなく“行動”であって、人々は我々が“何を語るか”ではなく、“どう生きるか”によって判断するだろう」と語りながら、「為に生きる実践」とそれを通して築かれる「真の愛の文化」(心情文化)を強調しました。
つまり、二世の真の教育現場は「教会の中」ではなく、「学校」であり「社会」であって、その中で模範を示して若者の「文化」を主導していくこと―、それが二世教育の新たな使命となったのです。
私たちは同年、「全国二世教育のパラダイムシフト」というスローガンを掲げました。
私たちの目指す教育が、教会に従う二世信者を作る教育でも、単に二世を教会や社会といった環境から守るための教育でもない、「社会(環境)を主導し得る二世を育む教育」に変わって行かなければならないと、強く気付かされたからです。
(以下、後編に続く)