昨年の事件より遥か前から、統一教会関連の報道がなされる度に、よく「洗脳」または「マインドコントロール」という言葉が用いられてきました。 過去、信者が皆一様に寝食を忘れ、組織目標を追いかける様を見た時、或いは、彼らが教団の目的のために常識範囲を越えた犠牲を払おうとする姿を見た時、人々の目には、信者たちが皆、組織によって“コントロール”されているように見えたのでしょう。 しかし、それが個々の自主的な「信仰」によるものなのか、はたまた教団の巧妙な「洗脳」によるものなのか、見極めることは困難であるに違いありません ...