目次[表示]
はじめに
全国・全世界に衝撃を与えた、あの痛ましい事件から、今日で3年目を迎えます。
当時、山上被告の犯行動機が明かされたことから、全国民の批判は一斉に「旧統一教会」(以下、教団)へと向かい、水面下でくすぶっていた被害者の声と相まって、教団批判が巻き起こって行きました。
一昨年の10月、文科省は教団に対する解散命令を請求(10/13)。今年3月には、東京地裁が解散を命ずる判決を下しました。(3/25)
これを受け、教団はすかさず記者会見を開き、即時抗告の意向を表明。その後、全国の信徒たちが駅前で、街頭で、国会前で、抗議の声を上げ始めました。
「被害者救済」を訴え、教団の解散を求める声と、「信教の自由」を訴え、自分たちの教会を守ろうとする声―。
教団の解散が、やみくもな「宗教弾圧」へとつながるのであれば、それは日本社会にとって大きな禍根となりかねません。しかし一方で、今の教団のあり方がこのまま続いていくこともまた、新たな被害を生み出す要因となるに違いありません。
今、真に解体すべきもの、是正すべきものは何なのかー。
私は前回、「解体されるべきものと守るべきもの」というテーマでこのことについて触れました。
が、ここでは今一度、近年韓国で起こってきている出来事なども踏まえながら、「真の問題解決」と「信徒の解放」という観点から、今思うところを述べてみたいと思います。
韓国本部への検察捜査 ー 表面化する指導部の腐敗
今年4月、教団本部は韓国加平市において、総工費500億円とされる豪華施設の開幕式(天苑宮入宮式)を挙行。世界から3万人超が参加したと言われています。
一方、教団内では、目下、献金被害の訴えから法人解散が求められている状況にあって、「こうした大規模な祝祭の実施は自粛すべきでないか……」といった声も挙がっていたといいます。
しかし、韓国指導部は「ここから運勢が変わる」と言って憚らず、むしろ一カ月前から、地上波を含む各種メディアを通して、“宮殿”のグランドオープンを大々的に宣伝していたほど。
ネット上で見られた参加者の感想からも、半ば、国内の問題を忘れかけているような印象を受けました。
しかし――。韓国指導部、教団の心臓部に検察の手が伸びたのは、正にこの式典から僅か3日後のことでした。
「乾真(コンジン)法師」として知られる易者、チョン・ソンベ氏を介して、教団の元No.2、ユン・ヨンホ前世界本部長が、尹大統領夫人に「政治的接近」を図ったとされる疑惑が浮上。
高級品(600万円のネックレス・200万円のブランドバック)を贈り、教団の便宜や海外事業の利権を図ろうとした「収賄」疑惑として捜査が進められています。
ユン氏については、予てから教団内でも横領疑惑が囁かれていました。妻を「財政局長」の座に置いていたこと自体、“正常”とは言えないでしょう。しかし、韓鶴子総裁が重宝していた手前、皆が皆、面従腹背するばかりで、ひと時、教団のほぼ全権を意のままにしていた人物として知られます。
その後、中枢での権力争いから、その座を退けられますが、彼を含む教団トップ幹部ら数名が現在、数件の横領と脱税等の容疑をかけられ、捜査対象として出国禁止措置を受けています。
当初、ユン氏に検察の捜査が及んだ際、韓国本部は一早く、「ユン氏個人による逸脱行為だ」として線引きし、懲戒処分に乗り出しますが、ユン氏は逆に、「すべては教団・韓総裁の指示によるものだった」として、今や進んで証拠資料を提供しているといいます。
日本の信徒たちが、過去、「教団を守るために……」と、組織の問題を自ら被ろうとしてきたケースとは極めて対照的でしょう。幹部同士で責任をなすりつけ合う様は、遺憾としか言えません。
今朝の韓国JTBC(中央日報系のテレビ放送局)のニュースによれば、6月以降、検察・警察を越え、一連の捜査を引き継いだ「特別検察」が、韓総裁を被疑者として立件したといいます。
教団の資金の流れや政界ロビー疑惑を捜査する過程で、例の米国ラスベガスでの賭博事件が再び浮上。現在、業務上横領の容疑がかけられているといいます。
捜査が続けば、これまで伏せられてきた教団中心部のさらなる闇が明るみになってくるに違いありません……。
これらは信徒の方々にとっては、見たくない現実であり、聞きたくない事実でしょう。しかし、これが今起こってきている現実なのです。
無論、日本の裁判問題は献金・人権の問題であり、そこに法令違反があったかどうか(組織性があったかどうか)であって、韓国での事態が裁判に直接、影響を及ぼす訳ではないでしょう。
しかし、信徒の献金が不透明な政治資金や収賄、個人の横領に用いられていたとすれば―、本来の宗教目的とは異なる用途で用いられているとすれば―、献金そのものの正統性が根本から揺らいでしまうでしょう。
今、日本教会は....日本の信徒たちは....一体、何のために、誰のために、解散請求に抗い、反駁の声を上げているのでしょうか―。
彼らの動機は、単に、「自分たちの居場所を守りたいから」だけではないでしょう。自分たちの教団の正当性を純粋に信じ、何より、教団トップの意向を信じて、それを守るために声を上げているはずです。
そんな純真な信徒の心情を考えるとき、極めて、悲痛な思いを禁じ得ません。
韓国JTBCニュース【統一教・韓鶴子総裁を被疑者として立件…幹部らも捜査対象に】(韓国語)
誤った組織体制の解体 ー 縛られた構造からの脱却
私は最初の文章を投稿した当初から、日本教会の献金問題は、「日本教会」だけの問題ではない、と言及してきました。韓国本部、教団指導部にメスが入らない限り、問題は解決し得ないだろう、と。
事件勃発から3年―、日本教会内に”変わる努力”が見られたのは事実でしょう。しかし、韓国を中心とした教団全体の構造そのものは、何も変わりませんでした。
日本教会が危機的状況にあっても、韓国では「宮殿作り」を取り止めるどころか、大々的な行事を自粛することもなく、莫大な広告費まで注ぎ込んでこれを推進し続けました。
ひと度、「箱物」を作ってしまったら、出来上がって終わる訳ではありません。それを“維持”するためにも、また莫大な献金が求められるのです。
430代に及ぶ「先祖解怨」が終わった信徒には、今や「恨霊」(恨みの霊)を分立するための献金が求められています。終わりの見えない献金の仕組み作りが、今なお続けられているのです。
また、韓国本部はこの期間、日本教会を介さず、韓国(清平)に直接、献金することのできる流れを作り出しました。万一、日本教会に解散命令が下っても、献金体制を維持しようということなのでしょう。
こうしたことが、日本の国から、また裁判所から、「教団は変わろうとしていない」「無理な献金活動を自粛する気配がない」と、そう判断されたのではないでしょうか?
私は、統一運動の歴史や社会への貢献を全面的に否定するような世論の流れや、解散を押し進める背後に潜む宗教的ヘイトや政治的思惑に賛同する立場ではありません。
しかし、今なお続く、韓国を中心する「教団中心の組織体制と献金体制」は、元より「解体されなければならなかった!!」と見ています。何故なら、それは、本来の統一運動のビジョンとも、方向性とも、合致し得ないからです!
何度も繰り返しますが、統一運動は宗派・教派を越え、「神のもとの一家族世界」を目指そうとする超宗教運動であり、各家庭に神を取り戻し、理想家庭を目指そうとする家庭運動に他なりません。
統一運動の目的は、一教祖の権威を高め、一教団の教勢を広げようとするものなどではありません。まして、教団の権勢を誇示する宮殿建設といった発想など、統一運動のビジョンからは出て来ないでしょう。
教団指導部が統一運動のビジョンを失い、教団内の権力争いに血眼になり、現体制を維持し拡張することばかりを追求している以上、その組織体制から脱却しない限り、信徒自身が解放され得ないでしょう。
日本社会が「No」を突き付けているのは、各家庭やコミュニティにおける信仰生活の営みではなく、狭量な組織目的をもって無理な献金を信徒に求める、そうした教団の組織構造であり、体質なのです。
90年代、文鮮明総裁が統一教会から家庭連合への転換を謳われながら強調された「教会時代の終焉」とは、平たく言うなら、「教会組織の解体」(教会中心の組織体制の解体)でした。
無理な献金活動を、組織力によって維持させ続けなければならないような体制は、法人解散の有無にかからず、“解体”されなければならないと思うのです。
■組織信仰の問題
誤った信仰体系の解体 ー 歪められた信仰からの解放
私は教団組織に問題があったとしても、また、それにより教団が批判を受けざるを得ないとしても、「教団」の組織問題ゆえに「信徒個々人」がバッシングの対象になってはならない、と、言及し続けてきました。
個々人には「信教の自由」があって、(他者を害するようなことがない限り)人が自らの信じることゆえに批判や差別を受けてはならないと思うからです。
しかし―、だからこそ、統一教会の課題は、「解散請求」では解決できないと思ってきました。なぜなら、現教団の問題は、最終的には、「信仰観の問題」にあると思うからです。
これまで、理不尽とも言える組織体制、献金体制が維持され続けてきてしまった根本的な原因は、組織の意向を「天の意向」として捉え、組織を通して伝わる「教団トップ」からの要請を「絶対視」してしまう、そうした“信仰”そのものにありました。
別のところで、何度も詳しく述べているので詳細は割愛しますが、一言だけ記したいと思います。
献金すれば救われる……、地上のことよりも先祖の解怨が大事……、日本社会に問題視されようとも教祖と教会の指示にだけ従っていればいい……。
そうした信仰観が是正されない限り、今後も問題は起こり続けるでしょう。夫婦間に、親子間に少ならぬ不和を生み、日本社会との間に溝を作り出してしまうに違いありません。
そもそも、そうした教祖中心、組織中心、先祖中心、霊界中心の信仰観は、統一運動本来の教えには“ない”ものです。
それは歪な組織構造と献金体制を続けさせるために、組織自体内で作り出され、硬直化してしまった「歪な信仰」としか言いようがありません。
日本社会に対しては、教団の問題ゆえに信徒個々人を糾弾したり、排斥したりせず、一人一人の人格や生き方をもって判断していただきたい、と心から願います。
しかし同時に、教団に対しては、今々、起こってきている現状を冷静に見つめ、ありのままの現実を直視していただきたいと思っています。
社会が今、何を問題視し、教団の何を糾弾しているのか―。また、今日の事態を引き起こした要因はどこにあるのか―。
何よりも、統一運動本来の教えと全く違ってきてしまっている今々の信仰の問題に、その深刻さに気付いていただきたい―というのが、今、信徒の方々に対する私の強い願いです。
■ 献金中心・組織中心・教祖中心の信仰観からの脱却
■統一教会の信仰とカルト問題【中・後編】独善性・閉鎖性・排他性