統一教会=霊感商法? かつて、「統一教会と言えば“霊感商法”」と言われたほど、霊感商法とはこの教会に付着した、極めて残念な代名詞でした。今回のような事件がなかったなら、若い世代にまでこの言葉が知れわたることはなかったでしょう。 教会からすれば、「もう過ぎた過去のこと…」と言いたいのかもしれませんが、今日まで、その不名誉なレッテルを払拭できずに来たのは、恐らく、この問題に責任を負うべき人たちが責任を負わず、教会が教会としての過ちを認めて来なかったからだろうと思います。 同時にまた、この問題を払拭し得ないのは ...