統一教会と献金 統一教会の歴史

統一教会と霊感商法(80年代)~目的のためなら人を騙してもいいのか?

統一教会=霊感商法?

かつて、「統一教会と言えば“霊感商法”」と言われたほど、霊感商法とはこの教会に付着した、極めて残念な代名詞でした。今回のような事件がなかったなら、若い世代にまでこの言葉が知れわたることはなかったでしょう。

教会からすれば、「もう過ぎた過去のこと…」と言いたいのかもしれませんが、今日まで、その不名誉なレッテルを払拭できずに来たのは、恐らく、この問題に責任を負うべき人たちが責任を負わず、教会が教会としての過ちを認めて来なかったからだろうと思います。

同時にまた、この問題を払拭し得ないのは、いまだ形を変えた「霊感商法」が教会の献金活動に見られるからであり、霊感商法の根底にあった「誤った考え方」が今なお教会の中に根強く見られるからであるに違いありません。その考え方とは即ち、「自分たちが信じることのためなら、個々の良心や社会のモラルを犠牲にすることもいとわない…」といったものです。

世の中には数々の悪徳商法が存在しますが、私は正直、過去「霊感商法」と呼ばれたものほど”タチの悪い”ものはなかったと思っています。何故なら、それは人の目に見えないもの――神や信仰、霊界や先祖、子どもたちの将来や家族の幸福など、人が最も「大切にしたいもの」を語りながら人を脅し惑わす行為であったからです。

私も神や霊界を信じる者ですが、それをもって人を騙していい、などということを、この教会の本来の教え、「原理」から学んだことはありませんでした。また、実際に霊感商法に携わった方々に尋ねてみても、当時このやり方に“葛藤”を覚えていたケースが少なくなかったといいます。

では、なぜそもそも神を信じる団体において、こうしたことが起こって来たのか―。今回はその辺りのことを、私の知る範囲でお伝えしようと思います。

 

霊感商法とは

周知の通り、霊感商法とは、御利益や開運、先祖の因縁などを語りながら、様々な商品を高額で販売する商法をいいます。特に過去80年代、大々的なバッシングを受けた霊感商法とは、販売する側が「霊能者」(人の背後を見抜く霊感・霊力をもつ者)を装い、災いや祟り、先祖や水子の怨念といった話を用いながら、相手に不安や恐怖を煽り、法外な値段で商品を売りさばく、といったものでした。

教会本部はあくまでそうした販売活動を「一部の信徒がやったこと」と主張しているようですが、実際、各地にその販売に関わったと語る信徒たちがいる以上、組織的にやってなかったなどとは言えないでしょう。私自身、80年代の様子こそ知らないものの、「経験者」の話は様々なところで耳にしました。

ではなぜ、教会が「やっていない」と言い張るのか―。それは恐らく、霊感商法を推し進めていた母体が、厳密に言えば、「教会本体」ではなく「事業部」であったからなのだと思います。

 

教会から経済組織へ

前回述べた通り、この運動は当初から「勝共」の旗を掲げ、共産主義の脅威から国と世界を守るという一念で活動を展開していました。日本教会の初代会長が同時に勝共連合の初代会長でもあり、全信徒の目指すところも「救国救世」の志にあったといいます。

70年代に入ると、文総裁は「アメリカが倒れれば世界が倒れる」として渡米。講演活動、言論活動を通して、アメリカのキリスト教に団結を訴え、保守政権をサポートしながら活動を展開していきます。日本からも若い信徒たちが渡米し、「花売り」等をしながら資金をつくり、その活動を支えたといいます。

同時に、日本でも幾つかの事業が立ち上げられ、工芸品や高麗人参等の販売を開始。当初はごく通常のビジネスでしたが、変化は80年代序盤、経済が重視される中、「事業部」の権限が強化されていく中で起こってきたといいます。

事業部の責任者が全権を握り、教会のメンバー及びスタッフの大半がこぞって事業部に移動しその指揮下に入る、「経済中心体制」へと変わるのです。

ある地方では、教会長を含むスタッフ3名だけが教会に残り、100名以上の献身者が店舗で活動していたと言われる程。いつの間にか「経済=神の摂理」となり、「実績を出すことが信仰」という考え方に塗り替えられていったといいます。

これが、日本教会が「経済組織」へと“変貌”を遂げていく最初の切っ掛けでした。

 

「汚く稼いで綺麗に使え」

当時、「開運」を謳っていた印鑑販売が当たり、そこでつながった顧客に、より高額の壺や多宝塔(韓国の仏塔)を販売して行く流れが生まれたといいますが、この時、商品を購入した顧客から、運勢が好転した、病気が治った、夫の酒乱が収まった、壺から光が放たれるのを見た―といった幾つもの「奇跡」の証が飛び込んできたといいます。

それは嘘ではないのでしょう。しかし、こうした人々の声が歪曲・悪用されながら、「霊感商法」が生まれて来るのです。

発案者は分かりませんが、語り手(トーカー)が「先生」として紹介され、霊能者を装いながら、ゲストに将来の不幸や亡くなった家族の苦悩等を語り、不安や恐怖を煽りながら、原価の数倍・十数倍にも上る高額で商品を販売する―、そんな手法が際限なくエスカレートし、広がって行ったといいます。

当然、「こんなことをしていいのか」「これは人を騙すことじゃないか」といった戸惑いやためらいを覚える信徒も少なくなかったといいますが、当時の事業部の指導は、「我々は天のためにやっているんだ」「大きな摂理の前に小さなことでうろたえるな」といったもの。甚だしくは、「汚く稼いで綺麗に使え」といった指導まであったといいます。

人は「集団」になると、理性が働かなくなり、モラルは薄れ、「狂気」が助長されると言いますが、当時、現場の信徒たちが良心の呵責を覚えつつも、これを進めてしまった根底には、自らの信じる目的のため、「神の摂理のためなら…」という思いがあったといいます。

しかし、これは決して、本来の信仰論や原理の教えゆえに起こってきたのではありません。逆に、信仰の本質や原理を“見失った”ことから起こってきたと思うのです。

 

原理の誤用 ―「万物復帰」の意味

ここで教理の話を長々とするつもりはありませんが、一点、霊感商法に関わることとして、「万物復帰」についても言及しておきたいと思います。教会はこれまで、組織運営のために、何かと「原理」でないものを「原理」としてきた経緯がありました。「万物復帰」もその一例であるに違いありません。

いくつかの報道で、万物復帰とは「サタン側(社会)の万物(財産)を神側(教会)に取り戻すこと(奪ってくること)」として説明されていました。正直、教会にそうした指導があったかなかったかで言えば、「あった」としか言えません。しかし、それは「本来の教え」ではありませんでした。

原理では、本来の立場から離れたことを「堕落」と言い、その失われた立場を取り戻すことを「復帰」と言いますが、堕落したのは「万物」ではなく「人」であって、復帰すべきも「人」であって「万物」ではありません。

旧約聖書には、人々が「供え物」をもって神の前に信仰を立てる姿が描かれていますが、原理ではそれを、堕落した人類が、堕落していない万物(供え物)を介して、神との心情関係を回復していくこととしています。即ち、「万物を復帰する」のではなく、万物を通して「私自身の心情を復帰する」こと、それが万物復帰の意味でした。

教会では、信仰路程の一環として、「万物復帰」と称し訪問販売を行ってきましたが、その目的も、相手からどれだけの「お金」を復帰したかではなく、自分がどれだけの「心情」を復帰したかにありました。

拒絶されたり、白い目で見られたり、様々な心情を体験しながら、一件一件訪問して回る中で、背を向け続ける一人一人を訪ね歩いた「神の心情」に出会うのです。また、極限状況の中で触れた、人の親切や思いやりの中に「神の心情」を見出すのです。私自身、僅かな経験ではありますが、万物復帰を通して出会った「神様」がいました。

献金も同じです。真心からの献金(万物)を捧げることで、私自身の神への心情が啓発されるからこそ「万物復帰」になるのであって、人の心に不安や痛みを与え、人々を神や信仰から遠ざけ、やみくもに財産を奪い取ってきたことをもって「万物復帰」となる訳ではないのです。

しかし、結果を求め、実績を追いかけ、本来の原理の教えを見失っていく中で、「万物復帰=経済復帰=神の摂理」となっていったのです。

 

目的は手段を正当化できない

霊感商法とは、どこまでも「日本教会」(事業部)による産物であって、本来の教えから生まれてきたものではありませんでした。

当時、霊感商法を、それでも「神の摂理のため」と思って歩んだ信徒の、諸先輩方の名誉のために補足するなら、当時の彼らの思いはそれでも、「国と世界のため」にあったといいます。朝から晩まで東奔西走しながら、家計が厳しくとも、霊感商法で得た公金には、一銭たりとも手を付ける人はいなかったといいます。

しかし、どれほど高尚な目的であったとしても、手段を正当化することはできません。原理の本質は「真の愛」「ために生きること」であって、目の前の人を不幸にし、「霊的命」をも犠牲にして実現し得る「天国」などないと思うからです。

本当に国や世界、「公益」のためであるなら、その名目のもとに基金を募り、志のある方々に働きかけるのが正道であったに違いありません。無論、これは今だから言えることであって、冷戦時代、火急の事態にあって、そんな悠長なことは言っていられなかったと言われる先輩方もおられることでしょう。

当時の事情や背景を知らない私が、過去を全否定することなどできませんが、少なくとも、そうした「大きな目的のためには手段を問わない」といった発想は過去の時代、私たちの言う「蕩減復帰時代」(本然の時代以前)に置いてくるべき発想であるはずです。

さらに言えば、経済活動は「手段」であって、それ自体が「目的」ではありませんでした。霊感商法とは、手段が目的化した「経済至上主義」「実績史上主義」がもたらした弊害であったに違いありません。

80年代後半、大バッシングの中で、事業部が主導してきた霊感商法は終息していくこととなりますが、この「経済・実績至上主義」の悪しき風習は、90年代、過去最悪と言われる献金体制へと形を変えていきました。次回はその辺りをお伝えしたいと思います。

 

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