献金しているのは日本だけ?
最初の投稿以来、十数社ほど取材を受けてきましたが、多くの場合、最初に尋ねられたのは、決まって「献金」についてでした。平たく言えば、「実際、高額献金が行われているのか」「信者はなぜそこまで献金するのか」「献金によって救われるという教義があるのか」といったことでした。
単刀直入に言うなら、この教会が経典としている「原理講論」(以下、原理)のどこを読んでも、「献金によって救われる」などという教えは出てきません。実際、同じ教義をもつ全世界の教会を見渡してみても、こうした過度な献金が行われているのは日本だけなのです。
では、なぜ教義にもない過度な献金活動が日本で生まれてきたのでしょうか?
幾つかの報道で指摘されている「反日的な歴史観」(後述)も主な要因と言えますが、それ自体もまた、「本来の教え」ではありませんでした。
前回述べたように、日本教会の「変質」は80年代に端を発しますが、行き過ぎた「霊感商法」(外部への物販)に代わり、「信徒への献金要請」、いわゆる「献金摂理」が本格化してきたのは90年代序盤であったといいます。
私は献金行為そのものを否定するつもりはありません。また、献金に込められた信徒の誠意を軽んじるつもりもありません。ただ、この教会の献金の進め方は常軌を逸していました…。
特に90年代後半(~00年代初頭)は最も「酷かった」と言われています。それはちょうど私が韓国から帰国し、本部勤務を始めた頃の状況であり、また、かの山上家が甚大な被害を被った、正にその頃のことです。
母の国の使命 ― 世界のために献金する
日本教会が「経済組織」へと変貌を遂げていった経緯は前回記した通りです。しかし、日本教会が統一運動の世界的活動を支える経済的使命を担うようになった理由は、決して「日本が“罪深い国”だから」(=反日思想)ではありませんでした。
複数の報道で指摘された通り、文総裁が日本を「エバ国家」(母の国)とし、「アダム国家」(父の国)である韓国を支え、世界の国々を生かさなければならないと指導したのは事実であり、また、「韓国植民地時代の日本の贖罪」(※)ということを言及していたことも事実ですが、 “過去の罪の償いゆえ”に日本が「母の国」とされた訳ではありません。
(※当時の文総裁の歴史認識自体、90年代の日韓の歴史観の影響を多分に受けたものであったと理解しています)
簡潔に言えば、日本の繁栄は「天の祝福」によるものであり、それは日本のためだけでなく世界のために与えられた祝福であって、日本は今後、世界のために生きることで世界をかき抱く国となり、世界から愛され尊敬される、美しい国にならなければならない―、それが「母の国・日本の使命」ということの本質的意味でした。
事実、世界に人を送り、経済支援を行ってきた日本の国の立場とは、言わば、「子女の養育(経済)と教育」に責任を担う「世界の母の役割」であったに違いありません。
世界のために生き、世界から愛される日本をつくる―、これが勝共運動に根差した初代日本教会の発想であり、その辺りが日本の保守層からも共感を得た理由であるように思います。
ところが、「経済史上主義」に突き進む中、いつの間にか、「日本の国」を母の国にしようといった発想から、小さな「日本教会」が国の使命を代わって担う、言わば「自分たちが日本の国の命運を背負って経済活動をするのだ」という“内向きの思考”に変わっていったと言います。
この考え方は、80年代の経済活動から90年代の献金活動へと受け継がれ、言わば、「日本の使命完遂のために献金する」という意識につながっていくのです。
婦人中心の献金体制
90年代初頭、統一運動は大きな転機を迎えます。ソ連の崩壊(91年12月)をもって冷戦時代が終結。それまで「勝共」を前面に立てて闘ってきたところから、いかに共産圏の解放を促し、朝鮮半島の平和統一を支援できるかが中心テーマとなるのです。(詳細は別の機会に)
男性中心の対立と闘争の時代から、調和と平和の女性時代を拓くものとして、「世界平和女性連合」(92年)が設立され、女性の役割が強調されたのも、こうした背景によるものでした。
と同時に、教会内でも、本部に女性代表(婦人会長)が立てられ、そのもとに、婦人中心の全国組織が結成。これが、物販以上の経済を生み出す、強力な献金体制を形成するに至るのです。
「○○献金」「○○路程」という触書きで期日と金額が定められ、80年代の経済摂理同様、その数値目標をもって実績を追求する形がとられますが、この時期の「献金摂理」がさらに苛烈だったのは、その実績追求が「個々人」に及んだ点にあったといいます。
皆で力を合わせて目標を達成しよう、ではなく、それぞれが各自の「ノルマ」を達成しなければならず、逆に自分が目標を成せなければ、全体の目標達成に支障をきたす、という立場に置かれてしまうのです。
無論、献金するのは信徒であって、「神のため」「日本のため」として真剣に向き合うケースが大半だったと言いますが、当然のことながら、献金とは「無尽蔵」に出し続けられるものではありません。
親族や知人に借金をして工面する場合もあれば、一般の金融機関から借り入れをすることもよくあったと言います。この在り方が、信徒個々の家計を逼迫していったのです。
韓国人指導者による献金体制
93年以降、韓国の責任者が「総会長」として日本教会に赴任するようになります。総会長とは、宗教法人の組織図にはないものの、内的には、会長の上に立てられた存在でした。
その役割は当初、「組織運営」ではなく「牧会」(=信徒の指導やケア)に置かれていましたが、98年に就任した総会長から、全国の献金摂理の元締めとなり、直接、献金活動を統括するようになるのです。
また93年、本格的には98年に、韓国から大勢の牧会者が日本に派遣されることとなり、全国の牧会者の半数以上が韓国人牧会者に変わりました。
その目的は、日本教会の「経済体制」を「牧会体制」へと移行させることにあったといいますが、実際は既存の献金摂理に巻き込まれ、日本人以上に信徒をプッシュし、献金実績を挙げるケースも見られたといいます。
当時の牧会者は「信徒への牧会」によってではなく、「献金の実績」によって評価されていました。言い換えるなら、手段・方法を選ばす、「献金実績を出した者」が責任者に上がっていくのです。(※)
(※日本人以上に日本を愛した善良な韓国人牧会者も多くおられたことを付け加えておきます。一方で当時、正式に発令を受けた牧会者ではなく、日本に出稼ぎに来ていた関係で牧会者に立てられたケースも少なくなかったといいます)
私が教会職員となった頃、全国は16の地区(リージョン)に仕切られてしましたが、そのトップは「リージョン副会長」と呼ばれ、絶大な権限をもっていました。また、総会長の脇を固めていた副会長の一部に関する公金横領、恐喝まがいの献金要求、献金ができない信徒への暴言や罰則といった黒い噂を耳にしたのも、一度や二度ではありませんでした。
教会の問題報道の度に、「土地を売ってでも献金せよ!」と信徒たちに迫る、韓国人指導者の映像が流されますが、正にあれが90年代後半の状況でした。
私は問題の現場を直接目撃した訳ではありませんが、当時、信徒の方々に触れ、大きなショックを覚えました。そこで見たものは、私が幼少期に見た希望あふれる姿ではない、生気を失い、疲弊し切った信徒たちの姿だったからです。
清平役事の始まりと日本の罪
95年から、韓国加平(カピョン)市にある清平(チョンピョン)修練院で、「霊界役事(やくじ)」(清平役事)と言われる取り組みが始まるようになります。当初の目的は「罪の清算」と「悪霊の分立」でした。
私たちが自己の堕落性(憎悪・嫉妬等の歪んだ性稟)に駆られたり、何かと不幸が続いてしまうのは、過去の罪ゆえに苦しむ霊たちが、私たちを頼ってしがみついているため。したがって、霊人たちの罪を共に悔改める思いをもって、自らの体を打ちながら必死に祈る―、そうすることで霊が払われるのだ、とのことでした。
詳細は次回記しますが、こうした清平役事は、罪からの解放を願い、魂の浄化を求める信徒たちにとっての一つの恵みの場となる一方で、幾つかの課題をもたらすことにもなりました。その一つが、上述したような「自虐史観」に基づく、過度な日本の罪意識の問題です。
日帝時代、日本が韓国にもたらした「連帯的罪」ということが強調され、女性たちには、特に「従軍慰安婦」の恨みの霊が憑りつき、病気や不妊、子どもの障がいなど、子孫に甚大な問題をもたらす、といった内容が強調されました。
ここでは、日韓の歴史問題を論じたいとは思いません。政治的、学術的判断にかかわらず、過去、女性の人権が踏みにじられた、こうした悲痛な歴史を前に、一人の人として心からの痛みを覚え、自分たちのこととして悔改め、過去の霊人たちの供養と慰労を祈りたい思いです。
ただし、これが日本の信徒たちに、極端な罪意識と不安を植え付けてしまっていた点で、課題を覚えざるを得ませんでした。
実際、清平で強調されたこうした内容は、「日本の罪を償わなければ!」として、献金摂理の推進に「利用」されていきました。言わば、恨みの霊や子孫に起こる不幸の話をもって不安や恐怖を煽り、献金を促す―、過去の行き過ぎた「霊感商法」が、教会内の献金摂理の中に再現されていくようになるのです。
どうして献金をするのか…
もう一度、冒頭の質問に戻ります。日本教会の信徒たちは、なぜ献金を捧げてきたのか。
神のため、日本の使命のため―。それは、当初からあった統一運動の精神なのかもしれません。
そうした貴い献金によって成し遂げられた功績が多くあるのかもしれません。献金することで霊的背景が整理されてきたのかもしれませんし、安心感を得られたのかもしれません。
しかし―、原理や統一運動本来の精神から見る時、その発想は極めて「内向き」になってしまっているのではないでしょうか。 国や世界のことが見えなくなり、周囲も見えなくなり、自らの献金目標の達成だけが、すべてに勝る「正義」となり「善」となる―。
そこに、家族の方々は、二世たちは、大きな「不安」を覚えるのです。
私たちの信仰の目的は、人格の育成であり、理想的家庭の創建であり、平和世界の実現に他なりません。それが、原理の教える、最もシンプルな「人生の目的」であるはずです。
不安や恐怖、罪意識を動機とした献金であるなら、今すぐ控えるべきだと私は思います。重複になりますが、原理には「献金によって救われる」とか、「献金しなければ救われない」(不幸になる)という教えなどないからです。
また、たとえ献金が貴い行為であったとしても、それがもし上記の「人生の目的」を妨げるものになるなら、それは「神の願い」とは言えないはずです。
現状の教会批判を、信仰や献金の意義を分からない人々からの迫害だと考える信徒の方々もおられることでしょう。でも、本来の信仰と原理の教えに立ち返ってみるとき、やはり、従来の献金活動は決して、本来の在り方ではなかったと思うのです。
その事実に気付けた時、反対している家族との「本当の対話」が始まるのではないでしょうか?
最も多くの弊害を生んだ90年代後半の献金体制は、2000年代初頭に断行された「リーダー層の人事」によって是正されますが、献金体制が終焉することはなく、今度は「先祖解怨」という新たな献金摂理が主流となって広がっていきました。次回はそのことについて触れたいと思います。