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「ミヤネ屋」の報道に関する補足 ~ 合同結婚式による日本人妻の苦悩

先日30日のミヤネ屋の報道で、合同結婚式に参加した日本人妻のインタビューが紹介されると共に、当時の問題に関する私のコメントが紹介されました。

内容に誤りがある訳ではありませんが、私のコメントは短く抜粋されたものであったため、誤解が生じる恐れもあると思い、補足できればと思いました。

【参照】宮根が現地緊急取材! 韓国・統一教会の実態! 教団“聖地”を直撃!
 (50:27~56:05)「帰れない」日本人妻の苦悩/元幹部「合同結婚式結婚式の責任痛感」https://www.youtube.com/watch?v=J1T7JJalCY8

ポイント

■日本人妻: 統一教会の合同結婚式に希望をもって臨んだが、夫は結婚目的で申し込んだだけで信仰はなかった。農村での困窮する生活で借金も膨らんでいった。

■韓国農村部に貼られたチラシ:「日本女性との真の結婚~純潔な価値観をもつ理想的配偶者と結んで差し上げます」(教団は貧困層の多い農村部の男性に日本人女性を紹介する形で布教活動を行っていた)

■櫻井のコメント:「教団内の数的実績や実利を急いだ韓国教会が、単に結婚したい人、農村部で結婚相手がいない人々等を大幅に募集し、教育もままならないまま、結婚式に送り込んだ、という状況があった。日本教会としても責任を痛感すべき出来事だと思う」

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まずは、番組でインタビューを拝見し、とても心痛く思いました。こうしたケースは決して少なくなかっただろうと思います。

結婚という人生の重大な決定を下す上で、信仰ゆえに、また教団を信頼して渡韓していった女性たちにとって、どれだけショックな出来事であったか知れません。

無論、韓国にわたって幸福な家庭を築かれた方々もおられますし、様々な不条理の中、逆に信仰をもって相手や周囲を感化し、地域から表彰されたようなケースも聞いています。

しかし、「だから良かった」などという話には、絶対にならないはずです。

それは既にコメントした通り、信徒一人一人の人生以上に、教団としての数的結果や実績を求めたことの弊害だったと強く思っています。

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ただし、こうした内容は主に90年代の出来事でした。

私は当時の状況を直接見聞きした立場ではありませんが、こうした無責任な在り方がどれほど多くの信徒に多大な被害と犠牲をもたらしたかについて、周囲からよく聞かされました。

韓国教会は勿論のこと、日本教会としても責任を痛感すべき出来事であったと思っています。

ただ、上記のような問題はその後是正されていきました。その後、何の問題もなくなったとは言えませんが、少なくとも、一切の教育や審査もなく、合同結婚式に入ってくるようなことはなくなったと認識しています。

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その後も続く課題を挙げるなら、私が合同結婚式、特に二世青年の結婚教育を担当するようになった2000年代以降も、依然として、合同結婚式の実施に際し、教団本部が数値目標(参加人数の目標)を追いかけさせるような文化は続いていました。

それが現場の教育者を悩ませる大きな要因になっていたことは事実です。一人一人の人生は「数」などで表わせるものではないからです。

教育者の立場では、「結婚」する人数を増やすのではなく、「教育」に乗れる人を増やせる環境を整えよう、として取り組んできた経緯がありました。

一方で、二世たちの場合、教団の数の追いかけとは別に、親が準備の整っていない子どもたちを無理に合同結婚式に押し込もうとする中でトラブルが生じることもありました。私にとっては、そちらの方がリアルな問題であったように思います。

全国を巡り、現場の教育者と協力し合いながら、事前の教育や父母への指導、親子の対話や関係改善など、懸命に努めてきたつもりですが、力の及ばない点も多々あったと思います。

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過去の教団の問題ゆえに、今なお精神的負担や生活苦、数々の辛い思いを背負って来られた方々がおられることを思う時、「過去の出来事だから責任がない」などとは思いません。その後のフォローやケアができていなかったことに対し、強く責任を痛感するものです。

ただ、抜粋された私のコメントが、いまだに教団内で過去と同じ状況が続いている印象を与えたとすれば、その点は誤解を解いておきたいと思います。

過去の無責任な合同結婚式の動員問題と、今なお続いている(或いは、さらに混迷を極める)教団内の体制問題、献金問題とは分けて考える必要があると思うのです。

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