※仕事と家庭の事情でブログが止まってしまっていました(汗)。改めて「宗教二世」を次のテーマとしてブログを再開したいと思います。
宗教二世問題とは ―二世に信教の自由を!?
昨年、安倍首相銃撃という悲劇を引き起こした山上容疑者の犯行動機が「旧統一教会への恨み」であったと知られたことから、それまで水面下でくすぶり続けていた「宗教二世問題」がにわかに世間の耳目を集め、社会的イシューとして取り上げられるようになりました。
9月には、統一教会二世の高橋みゆきさん(仮名)が宗教二世の救済に向けた支援と法整備を求める署名運動「#宗教2世に信教の自由を」を展開。7万票を越える署名と要望書が国に届けられました。
12月には「旧統一教会被害者救済法案」が可決されるのと時期を同じくして「宗教2世問題ネットワーク」が設立。(参照:https://2sei-network.morusuko.com/)
団体代表の団作さん(活動名)曰く、宗教2世とは「信仰を持つ親や家族のもとで育ち、その信仰の影響を受けて成長した者及び現に成長している者」であり、宗教2世問題とは「一部の宗教2世が親や家族、親や家族と同じ信仰を持つ信者から受ける、信仰を理由とした児童虐待やその他の人権侵害、及び生きづらさのこと」を言います。
二世には「信教の自由」(信じない自由を含む)がない―。これまで個々に挙げられたきたそうした声が、一つの声となって社会に発信されるようになったのです。
私自身、旧統一教会に籍を置きながら、いわゆる「宗教二世問題」と向き合ってきました。20年近い私の責務は一貫して二世教育(並びにその父母を含む家庭教育)であり、特に草創期は二世の公職者(=教会の職務に携わる者の総称)が少なかったことから、教会内では人一倍、二世青年や親たちの生の声を聞いてきた立場でした。
真夜中に二世たちからの相談電話がかかってくることもあれば、夜通しファミレスで相談に応じることもありました。信仰をめぐって仲違いする親子を仲介したことも数知れません。そのため、「二世の信仰をどう考えるか」は、私の公職生活において、切っても切れない課題でした。
宗教二世が抱える諸問題 ― 何が根本問題だったのか?
最初に取材を受けた時から、「献金問題」「政治問題」と共に、必ず尋ねられた内容が「二世問題」でした。
すなわち「二世たちが抱える根本問題は何だったのか」についてです。山上家庭に見られるように献金が根本問題だったのか、或いは、他にどんな課題を抱えていたのかを問われました。
私が見聞きしてきた内容そのものは、個々のプライバシーに関わる内容であり、守秘義務もあるため、事例の紹介は控えますが、一般論として大別するなら、下記のような課題が挙げられます。(あくまで二世側の感じ方としてご理解ください)
- ①親の信仰の押し付け (➝精神的ストレス)
宗教や信仰をもつケースに限らず、親は概して、自らが信じることや大切にしている価値観を、子供たちにも同じく持って欲しいと願うものです。大小の違いはあれ、どんな親子間にも価値観の衝突はあるでしょう。しかし、ここに「信仰」が絡む場合、親の態度はなお一層、妥協を許さぬものとなり、衝突も倍増してしまう訳です。
そして、ここには、実は信仰や教えの本質ではない、「親自身」の偏った考え方や価値観の押し付けが紛れ込んでいる場合が往々にしてありました。これが親子間のディスコミュニケーションを生み、精神的ストレスとなって二世たちに圧し掛かかってくるのです。
- ②行動や交友関係の規制 (➝社会との断絶と孤立)
「これをしてはいけない、あれをしてはいけない」といった禁忌事項(タブー)は聖俗を分ける宗教には付き物と言えます。統一教会で言うなら、禁酒や禁煙、猥褻な情報(テレビ・漫画・ネット情報等)の規制、露出度の高い服装やピアス等の装飾品、夜遊び等の禁止…etc.
ある意味、健全な範囲内での規制とも取れますが、ここからさらに踏み込み、親が極端に子供の行動を統制・監視しようとしたり、子供の交友関係を束縛したりすることで、子供を社会から断絶させてしまうようなケースも見られました。周囲とは異なる、自分だけに課せられた「特殊なルール」が、二世自身の孤立感を高めてしまうのです。
- ③自由恋愛と結婚の禁止 (➝罪意識と脅迫観念)
上述した「交友関係の規制」とも被る内容ですが、敢えて項目を分けた理由は、恋愛と結婚、「愛と性」は統一教会の核心的教義に関わる内容であり、親子間で最も衝突してきた事項だからです。
私自身、二世や親たちから最も多く受けた相談がこの相談であり、最も向き合わざるを得なかった課題がこの課題でした。信念を強く持てば持つほど、二世たちの罪意識も深まり、一般結婚したら不幸が起こるという強迫観念を抱かざるを得なくなるのです。(この件はまた別途扱いたいと思います)
- ④過度な献金による経済的困窮 (➝生活苦と進学問題)
教会内では、無理な献金によって生活苦を抱える家庭が少なくありませんでした。このことが二世の進路を阻み、将来の夢を摘んでしまうこともありました。
私は直接、献金の相談を受ける立場ではありませんでしたが、二世問題・家庭問題の背後には、必ずといっていいほど、経済問題が横たわっていたことが事実です。
2015,6年頃、本部で実施した会員アンケートでも、各家庭の幸福度を下げている要因として、最も回答数が多かったものが「経済問題」でした。
- ⑤その他
ひどいケースとして、体罰や暴力、育児放棄(ネグレクト)といったケースも見られましたが、これらは必ずしも、教会(宗教)がもたらしたとは言い難い側面が多分にあるため、宗教二世問題というより、別途、宗教内の「毒親」(虐待)の問題として対処すべき課題であるように思います。
さて、最初の質問に戻るなら、献金問題は確かに、統一教会の二世問題における顕著な特徴であり、根深いものであったに違いありません。
しかし、経済問題を抱える全ての二世が人生に致命的な被害を被っていた訳でもなければ、逆にハングリーな中で学業を習得し、社会で成功し、二世としての出自を誇りに思っているケースもありました。
結論から言うなら、宗教二世の抱える根本問題とは、献金問題そのものではなく、もっと本質的なところにあったと思うのです。
(次の記事に続く。以下は後編の小題目)